5月17日、ウガンダ・カンパラ。
「青年海外協力隊」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?
「世界も、自分も、変えるシゴト。」というキャッチコピーで、日本一有名な海外ボランティア制度。
自分の持っている技術・知識や経験を開発途上国の人々のために生かしたいと望む、20〜39歳の有志の青年を海外に派遣するという独立行政法人国際協力機構(JICA)の事業の1つです。
募集は春と秋の年2回。その審査は職種によって異なりますが基本的に書類審査、課題、面接が課され、合格すると、約2ヶ月の研修を経てアジア、アフリカ、中南米の開発途上国に派遣されます。2年間の活動中は旅費や生活費もJICAから支給されます。
では、実際のその活動内容はどんなものなのか?
青年海外協力隊とひとえに言ってもその活動は実に様々です。
今回はウガンダでお会いした、現在青年海外協力隊として活動している川崎芳勲さんに、その動機や、活動内容、やりがい、参加する上で気をつけるべきことなどをお伺いしました。
川崎芳勲さんプロフィール
1990年6月10日生まれ。関西学院大学法学部政治学科卒業。
大学卒業後、新卒で青年海外協力隊に応募し、研修を経てウガンダへ渡航&活動をスタート。農家にネリカ米を普及させる農業プロジェクト、加工食品販売プロジェクト、オリジナルポストカード販売と3つの事業を実践中。2016年7月に帰国予定。
facebookページ:余韻連鎖-Critical Moment-/Hiro Kawasaki
ブログリンク:http://ameblo.jp/yoshihirokawasaki
世界で一番不幸な人はだれか。
−アフリカに興味を持つきっかけは何だったんですか?
「僕は小学校から高校卒業までサッカー漬けの日々を送っていたのですが、高校2年の時に、練習中に足を剥離骨折してしまいました。そしてサッカーを続けるために手術を受けることになったんですが、その術中にミスが起きて、しばらくまともな生活がままならいような状態になってしまいました。
その時に自分は果たして不幸な人間なんだろうかという問いが頭に浮かび、その問いはやがて【世界で一番不幸な人はだれなんだろう?】という問いに発展しました。
海外に行ったこともなかった僕の頭にその時思い浮かんだのが、アフリカにいる子どもたちでした。当時、公共広告機構のCMの影響で、アフリカの子供=貧困というイメージがあったんです。
アフリカに興味を持ったのはそれがきっかけでした。
その後、いろんな思考を経て、アフリカに行き、あの頃の自分の意志を実現する道に進むことにしたんです。
大学卒業後、新卒で青年海外協力隊へ
−では、新卒で青年海外協力隊に参加したのはなぜですか?
「それから大学へ入学した後、自分の五感や国際協力への知識・経験を磨くため、フィリピンやカンボジアでのボランティア活動に加え、20ヶ国以上の国を歩きました。
大学卒業後の進路については、就職・大学院への進学等、いろいろと選択肢はありましたが、
‘旅中に培った感覚をもっと磨きたい’
‘現場で現地の人とじっくり関わってみたい’
‘途上国の田舎での一人暮らしに加え、どこまで活動を通して成長できるか’
ということを実感してみたく、応募を決意しました。大学4回生の春に応募しましたが、一発で合格するために相当準備しましたね。
とにかく20代前半に行くことが自分自身にとって大きな価値があるという思いがあり、それを行動に移したました。
新卒で応募するということは、実務経験がないぶん少し不利になりますが、合格者がまったくいないわけではないことも知っていたので、その情報も追い風になっていたと思います。」
1人で実践するウガンダでの3つの活動
−現在、ウガンダではどんな活動をされているんですか?
「JICAボランティアには職種があり、ぼくはコミュニティ開発隊員として活動しています。主にコミュニティの収入向上や地域に根根ざした活動が期待されています。
実際のウガンダでの活動は大きく3つのプロジェクトに分けられます。
1つは、NERICA米(New Rice for Africaの略)と呼ばれる換金作物の普及活動です。
現在ウガンダでは、JICAのプロジェクトが入っていて、東アフリカのコメ栽培普及の拠点になっています。そのプロジェクトの一環として、ネリカ米隊員が各任地でコメ振興にあたっています。
目的は農家の収入向上です。
ウガンダの主食は、バナナの一種のマトケやメイズ、キャッサバ、芋類が多く、ウガンダの食事事情を言えば、歴史的にみてコメは新参者にあたります。JICAのプロジェクトが入って以降、生産量は増えていますが、いまだに輸入に頼ってしまっている現状にあります。東アフリカの中でもウガンダは年二回の雨季がある珍しい国で、土壌も肥沃で農業に適している国と言えるので、そういった土地を有効活用しつつ、換金作物としても期待できるコメの生産支援が行われています。
僕の主な要請は、このネリカ米に関することで、普段の活動の大半は、ネリカに関することを主に行っています。帰国までに100農家に普及させることを目標にしています。
2つめは加工食品販売事業です。
僕が現在活動している村は、合計5つほどですが、すべての場所でさつまいもが栽培されています。そのまま販売すれば、サイズによりけりですが、相当な量を1000ウガンダシリング(約40円)ほどで購入できます。しかしこれを皮を向いて切って揚げてポテトチップスのような形に加工するだけで、さつまいも1個で500シルほどの売上になります。
多くの農家はこのように付加価値を付けるという発想を持っていないので、さつまいもを皮切りに、チャパティやバナナケーキなどを試作トレーニング中で、現在1つの村で青空カフェの運営、2つの村でケータリング販売の準備を進めています。
最後の3つ目が~長靴履いて、農業しようプロジェクト~
と名づけているオリジナルポストカード販売です。
ウガンダで撮影した写真をポストカードにして販売し、その収益を長靴に変えて、共に活動する農家さんにプレゼントしようというものです。裸足で農作業をしている人がほとんどで、傷をつくっている人が多数いるので、このプロジェクトを始めました。
昨年の12月からはじめて、現在20種類、1枚3000シル(10枚以上で2500シル)で売って現在は800枚ほど売り上げました。
長靴の数で言うと現在60足ほどに値しています。帰国までに500足プレゼントしたいですね。カフェやレストランなどでの販売に向けて準備中です。」
信頼関係があるからこそ。
−では、協力隊の活動で一番やりがいを感じるのはどんな瞬間ですか?
「無事コメが育ち、結果が出たときはやはり嬉しいですが、ふとした瞬間に農家さんと顔を合わせているときに、この人たちと会えてよかったなと思うことが多々あります。
例えば、ある村で、女性グループと加工食品販売の活動でバナナケーキをつくる試作会を開こうとした時に、事前に材料を用意しておいてほしいとリーダーに言っていたのですが、当日行くと何も用意されておらず、結局牛乳が手に入りませんでした。
ウガンダではよくあることですが、初めてのことではなく、どう工夫してもなおらないか…と感じたので、‘このまま材料を用意しないんだったら僕はこの活動を辞めるからね’と試しに言ってみると、
すると彼女たちは「本当に申し訳ない。次必ず準備するから、辞めないでくれ。頼む。」と言ってくれました。翌週、時間通りにメンバー・材料がすべてそろった状態で試作会を始めることができ、現在販路開拓に燃えています。
相手に振り回されてしまうこともありますが、寄り添うことを諦めず、対話を大切すれば、開かれる道がたくさんあります。お互いの信頼関係があってこその活動ですね。
こういったことにやりがいを感じますね。遠い国から来たこんな若僧を受け入れてくれて、本当に感謝です。」
−では逆に活動の中で一番苦労したことは何ですか?
「特にありませんね。
というのも、そもそも上手くいかないことがあったとしても、それを‘苦労’として捉えていません。時間通りに物事が運ばないことは当然ですし、こちらの工夫次第でコントロールできる領域もあります。自分の中で確実に前進している、そして活動の結果が目に見えているので、今は日々やりがいを感じて活動しています。
強いていうならば、水汲みに往復1時間かかることですね(笑)。
僕が住んでいる村は水道が通っていないので、水を手に入れるために、往復1時間かけて井戸まで水を汲みにいく必要があるんです。最初は辛かったですが、今は慣れていい運動だと思っています。」
いかに『ビジョンを持って取り組む』か。
−協力隊に臨む上で大切なことは何ですか?
「そもそも協力隊に受かるかどうかは海外経験で決まるわけではありません。
精神的なタフさであったり、自分で動けるどうかの主体性であったり。そういうものが評価されます。
なので、はっきり自分の意見が言えること、これはマストとして、かつ、ビジョンを持つことが大切です。
合格して、研修をしていざ海外に行って自分にどんなことができるのか。何を成し遂げたいのか。
今僕はウガンダに来てちょうど1年が経とうとしていますが、この1年はほんとにあっという間でした。このまま任期の2年間というのはすぐ終わるんだなと実感しています。だからこそ、この貴重な海外経験をしっかり自分のものにするためには、日本にいる段階でいかに事前にいいイメージをしておくかが大切です。
僕はウガンダに来る前にイメトレを何回もして、小規模ビジネスについて調べたり、色んな成功事例を勉強しました。
これから協力隊に臨む方はこの『ビジョンを持って取り組む』ということを忘れないでほしいです。」
自分がした経験を‘自分自身’の言葉で伝える
−最後に日本の若者に何かメッセージをお願いします。
「私もまだ20代の前半なので、偉そうなことは言えませんが。
私自身、特にこだわっているのは、
人がないがしろにするようなことや、疑問視しないことに対して、しっかりと目を向けるということ。
そしてなによりそれを”言葉”にすることです。
言葉にできないことは曖昧なまま記憶から消えてしまいますし、
人に伝えられないことは、自分でも理解していないと思っています。
国内に留まるにしても、海外に出て何かしら活動するにしても、
自分がした経験を‘自分自身’の言葉で伝えることができると、
人生がもっと輝いていくように思います。
人に影響を与えられるだけでなく、最終的には、自分自身を理解する大きな手立てになると考えています。」
終わりに:青年海外協力隊という1つの選択
これまで旅中に多くの協力隊の方々にお会いしてきましたが、ここまでその活動を詳しく聞いたのは初めてでした。
青年海外協力隊は留学やインターン、世界一周と変わらない海外に出るための一つの選択肢に過ぎず、川崎さんが言っていたように、そこで何をやるか、何を成し遂げたいのか、をビジョンで持って取り組むことが大切です。
事実、隊員の中には何も成し遂げられないまま2年間が過ぎてしまったという人も珍しくないと言います。
「世界も、自分も、変えるシゴト。」になるかは自分次第です。
世界に出るための1つの手段として、青年海外協力隊を考えてみてもいいかもしれません。