アフリカ最後の前日にケニアの安宿で、「ドキュメンタリー写真」という独自のスタイルの写真領域を展開する、ある写真家の方にお会いしました。
ドキュメンタリ−フォトグラファー藤元敬二さん
広島県出身の写真家で、アメリカのモンタナ大学でジャーナリズムを学んだ後ネパールの新聞社に勤務。その後、ネパール、中国、北朝鮮、タイなどを渡り歩き、アジアの発展途上国に暮らす人々の肉体的、精神的な影を主題とした数々のドキュメンタリープロジェクトを制作。
毎日新聞、週刊文春、カトマンズポスト、ミズーリアン、モンタナカインなど国内外の媒体へと発表しています。
現在はケニアに暮らしながら、『ワスレナグサ』という東アフリカで暮らすセクシュアルマイノリティーたちを撮影するドキュメンタリープロジェクトを展開中。
ワスレナグサの花言葉は真実の愛。ナイロビ郊外に咲き、静かに散っていくワスレナグサを見た時、その姿は、差別や圧力の影でひっそりと消えてゆくアフリカンセクシャルマイノリティーの友人達の姿に重なりました。彼らにとっての愛とは何であるのか。生意気にも、そんなことを問う作品をつくりたいと思っています。(藤元さんのサイトhttp://www.keijifujimoto.net/より抜粋)
報道写真でもないアート写真でもないドキュメンタリ−写真とは?
藤元さんは自身が撮っている写真を「ドキュメンタリー写真」と呼んでいます。
なかなか聞き慣れないドキュメンタリー写真とは一体どんな類の写真なのか?
言葉で説明するより、とにかく一見すればその世界観がわかると思うのでこちらの写真をどうぞ。
Missing Half 〜娘はどこに・ネパール少女売買の村
Missing Half 〜娘はどこに・ネパール少女売買の村(毎日新聞・2015年1月24日夕刊掲載)
「貧しい家族を助けられるし、華やかな都会で暮らせる。結婚はそれからでも遅くないんじゃない?」。甘い誘惑に乗せられインドへ向かったダマイ・タマンさん(年齢不詳)の娘が消息を絶ったのは、もう30年も前のこと。娘たちは今も5万〜7万ルピー(1ネパールルピー=1・19円)で買われ、インドで5年間の花売りをする。その間与えられるものは、最低限の食事や衣服、化粧道具のみ。1日20人の客が来なければ、殴られる。エイズウイルス(HIV)に感染したり、行方不明になったりする娘たちも後を絶たない。
やがてうたげは終わり、飲み潰れて眠り始めた父の横で、明日はすぐそこまで迫っていた。
「本当に困ったら使いなさい」
母から受け取ったなけなしの1000ルピー札を、サンティさんはポケットにしまい込む。
困惑した村では、お金だけが現実味をおびていた。(藤元さんのサイトhttp://www.keijifujimoto.net/より一部抜粋)
いかがですか?
この写真はカトマンズから比較的近い場所にあるランタン山脈の外れにある村で、藤元さん自身が1人で赴き撮影をしたドキュメンタリー写真です。ネパールの少女たちがインドなどの売春宿へと人身売買される場面を写真の精巧な並びによって表現されています。
写真からその場にいる人々や状況、ストーリーが鮮明に浮かび上がってくる、それがドキュメンタリー写真です。
藤元さんのWebSiteには他にも
・北朝鮮でスパイとして警察につかまりながらも撮影した写真
・タイのバンコクでギャンブルとして行われているムエタイの実際を撮った写真
など、思わず目を見張る写真たちが並んでいます。
自分は「何故この人に興味があるのか」
藤元さんはこのスタイルが生まれた背景としてこう語っています。
――いわゆる報道写真でもなく、アート写真でもなく、というスタイルは、当初からあったものなのでしょうか。
「ネパールの新聞社でインターンとして働かせていただいていた頃、新聞社のアサイメントだけでは退屈しているオレがいました。お祭りを撮ることも、交通事故を撮ることにも自分をのめり込ませることができなかったからだと思います。自分自身のプロジェクトに取り組む時には「何故この人に興味があるのか」という問いかけなしではプロジェクトを始めることができません。そこを掘り下げていった結果、それがたまたま社会の影で暮らす人達の姿につながり、報道写真とアート写真の間の子のような姿として育っていったのかもしれません。」http://webneo.org/archives/25970より一部抜粋
オリジナルな写真家として我が道を行く藤元さん。
たった数時間のお話をしただけですが、自身も旅好き、トラブル好き(笑?)と面白いエピソードは尽きることなく本当に興味を惹かれる方でした。全然話し足りなかったのでぜひ、またお会いしたいです!(写真はなぜか背伸びしていますw)
藤元さんのプロフィールはこちら。