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−人を育てる会社を作りたい−フィリピンでクレープ屋を開店した松澤広平さん(Tokyo creperie経営)

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「人を育てる会社を作りたい。」

そう話すのは、フィリピンの首都マニラからバスで2時間ほどのところにある街で、クレープ屋さんTokyo creperieを経営する、松澤広平さん。彼はそこでクレープ屋を1ヶ月前にオープンしたという。

ん?フィリピンでクレープ屋?海外でバーを経営する人などは筆者もあったことあるが、クレープ屋は聞いたことない!というわけで早速、Twitterでコンタクトを取って、取材をさせていただけることになった。 松澤さんは本当に気さくな方で、知見の広い方だった。特にお酒の話と、食べ物のこととなると(大学で食文化を学んでいたこともあり)たくさんの知識をお持ちだった。

今回はそんな松澤さんがTokyo creperieを経営することになった経緯や、今後の予定や将来の目標についてインタビューをさせて頂いた。

プロフィール「松澤広平」

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東京生まれ東京育ち。小学校くらいから自立心が強く、小さい頃から自信過剰だったという松澤さん。

その自立心の現れか、大学は一人東京を離れ、京都の大学に進学した。その後は神奈川県に本社を持つオイルメーカーの営業職に勤務し、当時全く訪れた経験が無かったという三重県に勤務。

24歳の時に退職し、お酒(シュナップス)の作り方を学ぶためにオーストリアを訪れたのが初めての海外ひとり旅の経験だった。帰ってきた後は長野県の農協で勤務することになったが、計5年間働き、退職。

30歳の時、人生の夏休みとしてフィリピンの語学学校に「遊び」に来た。 そして、東南アジアをビジネスの目線から旅をし、フィリピンにて起業準備を行い、現職のクレープ屋「Tokyo creperie」を開店するに至る。

松澤さんのTokyo creperieでの役割・仕事内容について教えて下さい。IMG 8445

「Tokyo creperieは現在フィリピン人のビジネスパートナー、ウェンデル(同い年)と共に経営しています。僕のお店での役割は主に財務や材料の仕入れなどです。簡単に言うと、製造販売以外の裏方は僕担当で、彼(ウェンデル)はお店の表側を担当しています。僕は現地語が話せないので、販売は全て彼に任せて、自分は基本的に市場やスーパーを探しまわり、必要な食材などを仕入れたりしています。」  

ではTokyo creperieはどのような経緯で創業されたんですか?IMG 8477

「もともと僕は独立心が強かったので、いつか起業したいう気持ちはありました。会社勤めも嫌いじゃないんですが、自分がやりたい事を会社の中でやろうと思ったら、何年待たなければいけないのかわかったもんじゃない。それに、まとまった休みも取れないような日本の企業風土は合わなかったこともあります。独立して自分で商売をするほうが向いている性格だったんですね。

しかし、就活で絶対営業をやらないと決めていたのに、営業職をやることになったんです。仕事はとにかく辛かったです。営業は楽じゃありません。しかも僕の会社は歩合制、社員は40代20代関係なく全員一律の状態で扱われます。売れない時のストレスは相当でした。

その後、24歳で退職し、一人で旅に出たり、長野県の農協で働いたり、紆余曲折あって、『よしニガテなこともたくさんしたし、独立してなにかやろう』と思ったのです。 そこで、仕事に見切りをつけた30歳の時にフィリピンの語学学校に【遊び】に来て、そこで、今やビジネスパートナーとなった(出逢った当時は学校の先生だった)ウェンデルと出会ったんです。彼とは非常に趣味や話が合い、仲良くなりました。

その後、僕は東南アジアをビジネスの目線から旅をし、フィリピンの外食産業のレベルが異常に低い事に気づいたんです。クオリティもさることながら、値段も高い。なら日本でヒットするレベルの外食産業を持ち込めば一人勝ちだろ?なんて甘いことを考えちゃったんですね。今思えば本当に浅はかだった(笑) 外食産業で勝負しようと思いついてから、実際に始めるまでにはかなりの時間がかかりました。

フィリピンに住んで、実際に調査を繰り返しました。どんな料理がいいのか、本当にフィリピンでいいのか…幾度も他のアジアに足を運び確認しましたが、やっぱりフィリピンの外食ばかりがダントツで低レベル。アジア就職を目指していた人の中にもフィリピンの食事が無理だからとベトナムに逃げた人もいました(笑) そして、移住して1年ほど経ってから、ウェンデルから「フードビジネス」をやってみたい、と誘いが来たんです。その時はビジネスパートナーもまだ決まっていなかったので、彼ならパートナーとしても間違いないと思い、二人で実際に事業を起こす事になりました。  

お店を起業準備、経営していて、大変だったことは何ですか?IMG 8473

フィリピン人の味覚ですね笑 

どういうことかというと、フィリピン人は味に対しては保守的な人が多いんです。新しいものも好きだけど、結局いつものものに戻る。甘いスパゲティとか、合成着色料たっぷりの真っ赤なソーセージとか。これは現地に住んで調査をしていた時に、現地人に自分の料理を振る舞った時の話なんですが、アマトリチャーナにナスを入れたんです。そしたら『なぜトマトソースが甘くないの?』『なぜナスが入ってるの?』『なぜミートボールじゃないの?』と質問の嵐。甘いトマトソースにミートボールのスパゲティは彼らの定番の一つで、見たことがない料理には抵抗があるというか、自分たちが食べ慣れている味が大好きなんです。

こうした事を何度か繰り返すうちに、フィリピン人の味の好みと我々が美味しいと思うものとは大きな開きがあることに気が付きました。日本のものをそのまま組み入れたとしても売れる気がしない。 ここで一度、外食産業での起業を挫折します。

味の劣化なんて言っちゃいけないけど、自分が美味しくないと思う味付けに変えてまでフードビジネスで勝負したいとは思わなかった。そのまましばらくは別のビジネスの事ばかり考えていたんですが、今のビジネスパートナーから誘われた時に、もっとローカル向けの商品を扱ってビジネスにしてもいいんじゃないかと考え直したんですね。

高飛車に自分が美味しいと思うものを提供するよりも、こっちから相手に歩み寄ればいいと。

日本の味覚が合わないなら現地に馴染む味にすればいいんです。こんな当たり前の事を受け入れられないほど頭が硬かったのですが、ここで少し柔らかくなったわけです。フィリピンで色々な目に遭ったおかげで少しは柔軟な考え方ができるようになったわけです笑 ただ、完全にローカルの人がローカル向けにやる商売では外国人の僕がやる意味がない。そこは最後のプライドで、日本のスタイルも持たせつつ、現地アレンジもしやすい商品ということで、クレープを選ぶに至ったわけです。

今後の予定や将来の夢(目標)について教えてください。IMG 8469

「元々僕はフィリピンで働く気はなかったんです。出来ればオーストリアかドイツとかで企業に勤めたかった。じゃあなんでフィリピンで働いているのか。それはフィリピンが今まで訪れた国の中でダントツに最低な国だからです。ある人にこれを言ったら、それは私と同じドMねと言われました。(ユニカセの中村八千代さん)

 フィリピンは語学留学だけじゃわからないことが多すぎます。 例えば、社会全体でモラルの低さを目にする事が多いです。美しいビーチでも街中でもところかまわずゴミをポイ捨てする、譲り合いが無いといった事は序の口で、特に町や国、社会に貢献しようという意識が非常に希薄に感じられます。

上流階級と言われる人たちにすらノブレス・オブリージュ(社会的に高い地位や財力を持つ人はそれを社会に貢献し還元すべきという意識)が完全に欠如しているように感じられます。

貧しい人々を見て「ああならないようにしよう」と思うばかりで、国や社会を良くしようという考えには繋がらず、自分や自分の身の回りの事しか気にしない。日本も数十年前は似たようなものだったかもしれませんが、こうしたモラルというものは親や身の回りの人が教えない限り、啓蒙や教育によってしか培われる事はありません。

しかし、フィリピンでは誰もが当たり前にしている事なので、また異を唱える人もいないため、僕や日本人らがそれがおかしいと言った所で「え?なんでポイ捨てがいけないの?」で終わってしまうこともあります。 住んでいればそうしたフィリピンの困った面を見ることも多いのですが、嫌になって逃げる人もいます。フィリピン人と関わらないようにして、信用しないようにして暮らす人もいます。

でも僕は、何をとち狂ったのか、これを少しでもなんとかしてフィリピンをいい国にしたい、それに貢献したい、なんて思っちゃったんですね。正義感の空回りです。 松下電器松下幸之助さんが「僕たちは人を育てる会社です。」 と言ったように、僕はフィリピン人をビジネスの視点から教育したいんです。

だから、まずは人々が今日を生きるための最低限のお金が稼げるような仕組みを作ります。ビジネスパーソンを増やし、そこから雇用を増やしたいんです。その方がねずみ算式に雇用を増やせる。そして、将来的には現在のお店をチェーン展開して、その中で人を育てたい。 「人を育てる事業をやりたいんです。」

最後に、日本の若者にメッセージをお願いします。

海外に出て起業しているからって僕は別に本当にやりたいことをしてるわけではありません。

田中角栄さんの言葉を引用すると、「自分がやりたいものになれる人なんていない。」んです。なろうと思ったものになれる人間はない。そんなものわかるもんじゃないんです。僕なんか本当は個人的にはお酒を作って生きていきたかったんで。でもこれは商売には向いていないからそこは趣味の範囲に留めいておいていいんです。自分のやりたいことと仕事が一致すればそれは一番幸せなことだけれど、やりたいことなんて社会人になったらすぐ変わります。

だからこそ、可能性を狭めることだけはしない方がいいんです。 むしろ広げることを意識した方がいいです。 自分が向いているとか向いていないとか関係なく、自分のニガテな分野に取り組んで得られることは、自分が向いていることをやるよりも多いと思うんです。

僕が新卒の時、最後の最後まで就活が終わらなかったんです。最終的に中途採用向けの営業職に行ったんですが、卒業が迫っていた事もあって、新卒は受け付けてないっていう会社にわざわざ電話してお願いしたんですよ。就活中ずっと営業だけはやりたくない、絶対に向いていないと思っていたのですが、苦手な営業を避け続けて一生を過ごすのもつまらない人生だ、なら一番最初にやってみよう、と考えを改めたんです。

柔軟で適応しやすい若い時にあえて飛び込んでみるのもいいと思ったのです。

けっこう過酷な職場だったんですが、結果としてはその時の経験が活きてどんな仕事も怖くなくなりましたし、何をするにもその時の経験は役に立っています。あの選択が無ければ今の僕はなかったし、「可能性を狭めない」と言うのはそういうことだと思うんです。どんな些細な知識でも学んだ事は無駄にはならないし、それが閃きとなって新たな道が開ける事もある

生まれた時は誰でも無限の可能性を持っているんですから、その限界を決めるのは自分です。決めないのも自分です。苦手な人と働けば自分の欠点を見つけられますし、苦手な事をやれば自分の可能性が開けます。だから思い切って飛び込んでみたらいいんです。やらずに人生を終えるのはもったいないですよ。

最後に蛇足ですが、男女の関係もそう、お互いの足を引っ張り未来を狭めるような関係は良くない。お互いの良さを引き出し合い、可能性を広げらるようなパートナーが理想ですよね。そんな事を言ってるから僕は未だに独身です(笑)

編集後記

今回、松澤さんに直接お話をお伺いして一番印象的だったのは、人を育てることをやりたいという言葉だった。フィリピンは確かに広がる格差社会や政治の腐敗など、たくさんの闇を抱えている。

しかし、多くの人はその問題に目を背け、知らんぷりをするだろう。まるで中流階級以上のフィリピン人が自らの国の問題を知らんぷりをするように。一方で、松澤さんの心には大きな志があった。異国の地で問題点を見つけ、自ら課題を解決しようとしているその姿はとてもかっこよく、僕たち、ゆとり世代と言われてきた若者が見習うべき点の一つではないだろうか。現状に満足せず、常に自分の弱みなどの課題を発見し、それを克服するように努力すること。

松澤さん今回は本当にありがとうございました。

狭間

松澤さんが経営しているTokyo creperieのFacebookページはこちら▷https://www.facebook.com/Tokyocreperie